もっと歴史を学ぼうYO!

[第2回] 「天正遣欧少年使節」のココがスゴイ!

前回、「天正遣欧少年使節」の結成理由をざっくりお話しましたが、「天正遣欧少年使節」って、スゴイ人たちだったんです。

まずは、彼らのスゴさを知ってもらいたい!

第2回は“「天正遣欧少年使節」のココがスゴイ!”

◎「使命」がある

第1回でもお話した通り、「天正遣欧少年使節」が結成された理由は大きく言って2つありました。

1つ目は「日本での布教活動に必要な支援をローマ教皇やスペイン・ポルトガル王に依頼するため」

2つ目は「日本の少年たちが直接ヨーロッパを回ることで、ヨーロッパの国々に日本の存在をアピールして、帰国後、ヨーロッパの素晴らしさを少年たちに広めてもらうため」

…2つ目の理由に、2つ分入っていますね!

彼らの時代、当然ネットもTVもありません。
ヨーロッパの人々はアジア諸国を見たことが無く、アジア諸国もまた、ヨーロッパは未知の世界でした。

“日本”なんて、ヨーロッパから見れば東の海の果ての果て。

「日本って何?」「どういう国?」「日本人ってどんな人?」ヨーロッパの人々は、興味津々だったことでしょう。

そんな中で「日本からの使者」として各所を訪問した彼ら。

いわば「日本代表」です。

ヨーロッパの人々が「日本人とは、どんな人間なのか」の判断基準にする対象として注目されていた4人の少年たち。
実際、注目度の高さを物語るように、少年使節が訪れた事を書き記した書籍はヨーロッパで50冊以上にのぼったとか。

もし彼らが落とした食べ物拾って食べたら「日本人は落としたモノ食べる」とヨーロッパ中に触れ回られてしまったでしょうし、謁見中にお尻でも掻いたら「日本人は…」と書き立てられてしまったでしょう。
自分の行動、一つ一つの振る舞いが全部「日本人は…」になってしまう!

これはものすごいプレッシャーだったのではないかと思います。

「日本代表」「日本人として」「日本」を背負った彼ら。
オリンピックやワールドカップの代表選手状態ですよ。
現代だったらお菓子に付くトレーディングカードになっていますよ。

さらに宗教や国内・海外の政治的事情、経済的な使命もハッキリ課せられていたのが「天正遣欧少年使節」。
1つ目の結成理由として上げた「日本での布教活動に必要な支援」の約束も取り付けなければならなかった。

そして帰国後は、見聞きしてきた「キリスト教世界」を背負って、貴重な存在である「海外の国々を見て回った日本人」として時の権力者・豊臣秀吉と謁見するなど、国内での働きも期待されました。

 彼らは、その役目を果たしました。

「使命」に臆すること無く、それをやり遂げた彼らは、スゴイ。

 

◎「知識」と「体験」がある

「天正遣欧少年使節」の企画者・アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父が、日本で神父を育成するために建設した学校・セミナリヨ。

織田信長のお膝元・安土(滋賀県)と、有馬晴信の領地・有馬(長崎県)の2箇所に作られました。
天正遣欧少年使節の4人は、有馬セミナリヨの一期生でした。

そこでは、

最初に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが生活や価値観の違いにカルチャーショックを受けつつも「私が出逢った民族の中で、最もすぐれている」と評して、「日本人は文化水準が高いので、よほど立派な宣教師でないと日本の布教は苦労するであろう」と、日本に派遣される宣教師に知識の高い人材を求めたせいもあってか、セミナリヨでは西洋でも最先端とされていた知識が授業で取り上げられていたと言われています。

ラテン語、ポルトガル語といった語学、倫理神学、哲学、神学、地理学、音楽、美術、体育、さらに日本語の読み書きや、習字、作文、日本文学。

文化祭など学校行事まであったと伝えられており、当時の日本において、これだけ幅広く、そして多くの知識を学べた場所はここだけだったのでは無いかと思われます。

日本では、地球が丸いということも知られていなかった時代。

それを、少年使節の彼らは学び、そして船旅によって体験し、実感することが出来たのです。スゴイ。

 

◎「度胸」がある

今では日本からローマまで飛行機で約13時間ほどですが、「天正遣欧少年使節」の旅路は帆船で丸3年。

風に乗り、アジアの島々に滞在しつつインドを経由して、アフリカ大陸をグーッと周って、ようやくヨーロッパ大陸にたどり着くことが出来たのです。

当時、ヨーロッパは大航海時代。
貿易で一攫千金を夢見た人々や、布教のために他国へ足を運ぼうとする宣教師たちが大勢いました。

少年たちの派遣を決めたヴァリニャーノもほぼ同様の経路を経て日本にたどり着いた訳ですから、その危険と困難は身を持って知っていたハズ。

何年かかるとも分からない、行き先の人も土地も初めての旅。命の保証だって無い。

そんな中、使命と希望を抱いて、海に乗り出した彼らの覚悟が、スゴイ。

ヨーロッパではスペイン帝国黄金世紀の最盛期に君臨したフェリペ2世にハグされて、現在使われている西暦、グレゴリオ暦を制定したローマ教皇グレゴリウス13世に謁見して、ローマ市内ではパレードの中心になり、帰国後には豊臣秀吉の前で西洋の楽器を演奏して褒められたりしている。

誰にも臆さず、立派な立ち振舞いを見せた十代の少年たち。

ただ、トスカーナ大公に招かれた舞踏会では、そんな彼らには珍しくお茶目なエピソードが残っていたりもします。

そんな小ネタも、コラムで追々拾って参ります。

NEXT 第3回:「天正遣欧少年使節」をめぐる人々