[第4回] 「天正遣欧少年使節」を巡る人々~海外編~
「天正遣欧少年使節」の目的の一つであった、スペイン・ポルトガルの王様とローマ教皇への謁見。
第4回は、“スペイン・ポルトガルの王様”のこと、謁見までのエピソードを紹介致します。
スペイン・ポルトガルの王。フェリペ2世。
スペイン、ポルトガル、さらに2番目の奥さんは“ブラッディ・メアリー”ことイングランド女王メアリー1世でしたので、結婚期間中は共同統治者としてイングランド王も兼ねていました。
ちなみにフェリペ2世、全ての奥さんと死別していますが、生涯で4回結婚しています。
ヨーロッパ、中南米、アジアに及ぶ大帝国を支配し、勢力圏を拡大していたスペイン帝国の黄金期を統治した王です。
父はスペイン王にして神聖ローマ皇帝に選出され、スペインを「太陽の沈まない国」と言われるほどに繁栄させたカルロス1世。
28歳の時に、父の退位によりオーストリアを除く領土を受け継ぎました。
加えてポルトガル王に即位したのは、1580年。
使節が日本を出発した1582年にはまだ日本にその情報は届いておらず、ヴァリニャーノ神父はインドのゴアでヨーロッパの変動を知った模様です。
1584年、ポルトガルの港・リスボンに到着した天正遣欧少年使節を待っていたのは、フェリペ2世からポルトガルの統治を委ねられていた甥の枢機卿・アルベルト。
非常に親しみを持って歓迎されたという記録が残っています。
イエズス会・上長の前で、少年使節が和装で盃の礼事をして喝采を受けたという話を聞いた枢機卿は、自分も和装の少年たちを見たいとリクエスト。
特に日本刀に興味を持ったアルベルト枢機卿、抜刀してガン見。
教皇への贈り物として信長が持たせていたという屏風を一人でずっと眺めていたりもしたそうで(欲しかったんだろうな…)、枢機卿の人柄や興味が伺えるエピソードが多々残されています。
リスボンは海外から渡ってきた(あるいは奴隷として送られてきた)アジア人も多く、「外国人」ということで注目を集めることは無かったと記録されています。
しかし、「和装ボーイズ・コレクション」が話題となり、その先々で天正遣欧少年使節はランウェイして回らなければなりませんでした。
あ、それまでの道中では彼らは洋服でした。
着物は大切な礼装。過酷な旅でボロボロになってしまってはいけないと、普段は丁寧に仕舞われて持ち運ばれていたそうです。
本来は国王への謁見、そして教皇に会う時のために用意したものでしたが、彼らを招く誰もが着物を見たがったため、度々披露せねばならなくなりました。
フェリペ2世の従姉妹・カタリナ夫人に至っては、和服を大変気に入ったようで、仕立屋に命じて速攻で似たものを作らせ、息子に着させて披露したりも。金持ちのコスプレはやることが違う。
“着物効果”もあってか、あちこちで熱烈な歓迎を受けたため、天正遣欧少年使節の旅はなかなか進まず…。
さらに道中、ミゲルが疱瘡にかかったり、マルチノが高熱で倒れたりとポルトガルからスペインに向かう旅路は散々でした。
天正遣欧少年使節がようやく首都・マドリードに到着してフェリペ2世に謁見することが出来たのは、フェリペの息子に王侯貴族たちが忠誠を誓う「王太子の宣誓式」。
臣下たちが「フェリペ2世の子どもにも従いますよ」と神の前で宣誓を行う、非常に大事な儀式の後でした。
この式には、天正遣欧少年使節一行もVIP席を用意されて陪席しています。
そして、いよいよフェリペ2世との謁見。
天正遣欧少年使節、もちろん和装フル装備です。
フェリペ2世と、王子や王女たちが待つ特別な部屋に通された少年使節たち。
ひざまずいて手に接吻するのが国王への恭順を示す当時の挨拶でしたが、そうしようとするマンショをフェリペは押しとどめました。
そしてマンショを立たせ、親しく抱擁。
4人の少年使節、さらに2人の従者にもハグ。
天正遣欧少年使節が、第一のミッションを達成した瞬間でした。
フェリペ2世が彼らを温かく迎えたのには、ポルトガルで少年使節たちを迎えたアルベルト枢機卿やイエズス会・上長からの言伝、彼らを歓迎した貴族たちの評判ももちろんあったことでしょう。
しかしそれ以上に、「東方の王がスペイン・ポルトガル国王である自分に使者を遣わした」ということによる世界中に自分の権威が伝わっているという証、そしてキリスト教がアジアの果てにまで広まった象徴ともなる天正遣欧少年使節の来訪は、熱心なカトリック教徒であったフェリペ2世を非常に感動させたのだと思われます。
その後、進物の贈呈、マンショとミゲルによる日本語での口上、書簡の奉呈などが行われ、フェリペ2世はかつてないほど機嫌良く、彼らとの時間を楽しんでいたと伝えられています。
ちなみに、王太子としてこの場にいたのは、のちのフェリペ3世。当時6歳。
伊達政宗が慶長18年(1613年)に派遣した「慶長遣欧使節」と会ったのは彼です。
その時フェリペ3世は、幼い頃に会った4人の少年たちを思い出したりもしたのでしょうか。


